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無知の知恵

一昔、「ダメよダメダメ」と言った言葉が流行ましたが、それはその人の行為を止めてもらいたい為には、余り有効でないのは皆さんご存知かと思います。

 一方で、人が知りうる物事は意外と狭く、そして少なく、下手をすれば一生とある事に関して「無知」な侭終える事も少なく無いのです。

 一寸話題は飛びますが、野球の打者も苦手の近くのボールが意外に得意玉。と言う事が有ります。

 話しの話題も、正論を単刀直入に言うのではなく、その人の興味を持つ様な話題から、それとなく入るのが賢明かと思います。

 或る人は食べる事が好きでした。でも、食べ過ぎます。さて、どうすれば、食べ過ぎないで済むでしょうか。

 

 勿論、これ以上食べたら太るよ。と言うのは、答えでないのは、上記の内容を見ればお分かりかと思います。

 その人は、料理を作る人では有りませんでした。

 ですから、その人が好きそうな料理を一体どう遣って作って行くか、それを、私が料理が好きなので、つぶさに説明しました。そして手間がかかる事を理解してもらいました。

 

 よく考えてみると、先進国(此の意味も最近は、世界情勢の不安定化で怪しくなっていますが)になるに連れて、自分が目の前にある物が、一体どのような過程で、作られているのか、見えなくなる事が多くなって来ます。

 

 それは、その過程の中で、多くの人の手と、業者が介入して最終段階のみを私達が見ているからです。

 便利になった事は、とても良い事に思えますが、同時に、モノの有り難みが、最初から最終型の道のりが遠い分だけ「希薄」になります。

 

 その希薄な部分を、私の拙い説明で、少しでも詳らかにして行けたら。と言う意味で、その人に話しました。

 私は、カウンセラーでもコンサルタントでもないので、もう一つの側面、彼等のその癖が何処から来て、それをさりげないやり取りの中で、気付かせて、改善に導く。と言う事迄は出来ませんが、少なくとも知らないよりは、知っている方が、何でも物事は「身近」に感じる筈です。

 此処迄、書いていて、勘の鋭い方は分かるかと思いますが、無関心な事が多いと、可成り楽に生きられます。でもそれに寄って、物事の成り立ち経の理解が希薄になり。それがひいては、より自己中心に傾くという悪循環に陥るのです。

 ですから、関心を持つというよりは、人の事に興味を持って貰う。先ず其処から入る必要が有るかもしれません。

 そもそも親しい人が居ない、親しくなりたく無い。其処迄行くとややこしいのですが、某かの態度、又は言葉がでれば、御の字かもしれません。

 本当は、知っている人の方が、知らないという事を知っているのですが、知らない人程、知っている事が多いと錯覚(自分の中の世界が全てだから)するので、先ずその入口に気付けば、それが後々知恵に繋がる様な気がします。